第82回 ワスレナグモ、その名のように
ワスレナグモは、民家の庭先や公園の芝生など、開けていて乾き気味で、なおかつ舗装されていない地面に、10センチ程度の縦穴を掘って住むクモだ。ワスレナグサに似た語感から、さぞ清楚で虚弱なクモかと思ったらとんでもない。寸胴な体に太短い脚、そして顔の全貌すら計り知れない程に巨大な牙。たかだか2センチ弱でここまでの存在感、仮に掌サイズならば熱帯のタランチュラも裸足で逃げ出すような魔獣となっただろう(実際、本種を含むジグモ科は、世間で「タランチュラ」と呼称されるオオツチグモ科の近縁といえば近縁)。ただし、それはメスの話であり、オスはまるで別種かと思うほど小さく、ナヨナヨした姿だ。
日中は穴の底に潜み、夜になると入口スレスレに顔を出して獲物を待ち伏せる。何も知らない虫が近くを通りかかるや、無慈悲に牙を振り下ろして串刺しにし、そのまま巣穴の奥底まで引きずり込む。この風変わりな名前の由来は、日本で初めてこのクモが発見されて以後、数十年もの間誰も見つけられなかったことから、「忘れないでいればいつかまた見つかる」との思いを込めて古のクモ学者がつけたとか。


先日、個人的にすごく嬉しいことがあった。他でもない、とある音楽CDが発売されたのだ。私の身の回りの人間にこういう事を言うと大層驚かれるのだが、私は音楽を聴くのが結構好きである。とは言っても、私が聴くのは世間でオリコン第何位だとか何だとか言われて持てはやされている、アイドルソングやJポップなどではない。アニメやゲームの主題歌、中でも美少女ゲーム(美少女がとにかく雨後の竹の子のように沢山登場するゲームで、何故か十八歳未満は購入もプレイもできない規則がある)の主題歌だ。
ここでは特に詳細を語らないが、とある美少女ゲームが五年前に発売された。このゲームのオープニングムービーで流れる曲が、ピンポイントで私の心の琴線に触れたのだ。そのゲームメーカーのホームページからは、その素晴らしき名曲のサンプルをダウンロードして試聴できた。しかし、あくまでもこれはショートバージョンのサンプルなので、すぐ終わってしまう。フルバージョンをどうしても聴きたいが、そのフルバージョンの曲というのが、存在しなかったのだ。
この手のゲームソングというのは、そもそもユーザーの少なさもあって、よほど異例の大ヒットでもしない限りはまず製品(サウンドトラックCD等)として商業ベースに乗らない。私はこれまでも同様に、「この歌ええやん!」と思った幾つもの美少女ゲーム主題歌が、その後短い試聴サンプルのみリリースしたまま、サントラも出さぬうち人知れず霧散していくのを見送り続けてきた。しかし私は「この歌だけはフルで聴きたい! フルがリリースされるまで俺は絶対に忘れずに待ち続ける!」と決意し、長き雌伏の刻を過ごしてきた。
そして五年の歳月を経た今、ようやくそのフルバージョンを収めたCDがリリースされたのだった。忘れないで待ち続けて、本当に良かった。




こまつ・たかし 1982年神奈川県生まれ。九州大学熱帯農学研究センターを経て、現在はフリーの昆虫学者として活動。『怪虫ざんまい―昆虫学者は今日も挙動不審』『昆虫学者はやめられない─裏山の奇人、徘徊の記』(ともに新潮社)など、著作多数。
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